地方での療養生活、不動産会社社長との出会い
療養と称して、しばらくの期間は休暇をもらっている。さすが、お役所という事だけあって、病気による入院に対しては、しかるべき届け出をすればちゃんと休めるようになっている。
術後、同僚が上司を連れて2回目の見舞いに来てくれた。
上司たち機嫌よく、ちょっと面白いチラシを持ってきた。
それは、田舎の不動産会社のもので、田舎での療養生活をサポートするというものだ。都会の喧騒から離れて長期間休みたいというニーズは、65歳以上の高齢者だけではなく、若い世代にも浸透しているようである。そんな人たちをターゲットにして、「田舎暮らしを始めませんか?」という不動産会社が発行するものだ。不動産会社というと、ポジティブな感覚がない。なぜなら、都市部の不動産会社は、賃貸アパートを管理しないのが不動産会社という認識があったからだ。
以前住んでいた賃貸アパートも、東日本大震災以降、オートロックを解除しっぱなしにしていた。調子が悪いのか何なのかわからないまま、何か月も続いた。オートロックをうたい文句にしているにもかかわらず、対応の悪さはずさんなものだった。しびれを切らした大家さんは、その管理会社との関係を断って、自分たちで管理するといい始めたくらいだ。見ていると、いいところとそうでないところの差が激しい。
結論として上司は、療養を兼ねた地方勤務を提案してきたのだ。
もちろん霞が関の役人は、入庁後ずっと霞が関にいるわけではない。研修と称する地方への出向期間もある。上司は、「地方勤務にいつ行くの、今でしょ!」なんて、どっかで聞いたことある台詞を言っていった。条件としても良いもので、事業の責任者として出向し、食べて、見て、感じつつたことが、療養生活にどのような影響を与えたかまとめてほしいというものだった。
各省庁は、地方の地域振興と称して様々な事業をやっている。交流、観光とかいろんなキーワードを使って地方を盛り上げていこうとしている。その中での掟として、ほかの省庁が使っている言葉を自分たちが大々的に使ってはいけないということである。それがないと、他省庁との差別化がはかれないなんて言う、ドロドロな利権と縄張り争いなのである。そんなことを考えながら、仕事をしていくのは嫌なものもあった。そんなときに、自分自身の病気療養生活が、地方の活性化に対して一石を投じるなんていうのはおもしろい。
プロジェクトをとってきたのはとある田舎の不動産会社だったのだ。上司は、その不動産会社の社長と同級生であり、公私ともに仲が良い関係だった。病気になる前に一回だけ、上司と同僚と一緒に会食をしたことがある。とにかく物知りで冗談も多く面白い社長だった。そんな不動産会社の社長とパートナーとしてやっていくのは面白い。何より、霞が関での仕事に嫌気がさしてきた頃でもあったのでちょうどよかった。
そんな話をして上司とした翌日、さっそく上司は不動産屋の社長を連れて病院の見舞いにやってきたのだ。相変わらず「何かの親分」といってもおかしくないくらいの貫禄があった。だけど、術後の傷にひびくくらい、笑えるような冗談も言っていく。
早速本題であったが、まずは部屋を決めてほしいという事であった。必要な経費は、全部役場持ちなので自由に選べる。本当に申し訳ないくらいだ。部屋のラインナップは充実していた。都内にあるワンルームの部屋と比べたら、広々と快適な空間で生活できそうだ。その中でも、田舎の主要駅から近くで川沿いにある部屋に決めた。部屋は3階の1LDKでバルコニーからきれいな川を眺めることができる。そして、春は桜が咲き誇り、夏は花火大会の花火を眺められるという特典にもひかれて、直感で決まってしまった。いろいろ悩んで決まらないかと思ったので、少し拍子抜けしてしまった。
退院もいよいよ1週間後とせまってきていた。田舎暮らしの準備も着々と進んでいた。準備といっても情報収集程度のことだ。物件を決めてから、毎日のように、社長がメールを下さるか見舞いに来てくれる。
そして、事業の話をしていく。事業の話といっても、どのように療養生活を過ごしていくのかというものだ。療養生活といっても、基本的には規則正しい生活を送ることだ。
その中でのポイントは、田舎育ちの素材の良いものを食べることである。この社長が特殊なのか、それが不動産屋というものなのかはよくわからないけれども、地元のことすごく精通している。来る前はわからなくてもいいからなんて言いながら、療養生活を送るまちのことについて、いろいろなことを教えてくれた。
そんなことから引っ越しの日が待ち遠しくなり、ついに退院の日が来た。アパートに帰って早速、引っ越しの準備を始めなければならない。